富士山登頂できづいたこと

先日、富士山に登ってきました!

思いつきではなく、
昨年から2024年は富士山登頂目指す!
と掲げていました^^

登山に関して
いままで私が見聞きした範囲では
頂上までいかにたいへんだったか
そして頂上からの景色は感動的だった

ということがほとんどでした。

 

だから、そう思って臨みましたが
思ってもみなかったところが
大変だったのです!

 

登山の途中は、急な傾斜がキツく
辛くてもそこを登り切る!
という明確な目標があるから
頑張れます。

そしてようやく頂上まで到達すると
身体中、達成感に包まれて
飛行機から見るのとは違った
雲上からの景色に感動する。

ここまでは、想定内でした・・・

しかし、問題はここから

 

登ってきたら当然下りなくてはいけません。

ヘリコプターが迎えに来てくれるわけでもないし
ゴンドラがあるわけでもない。

自分の足で登ってきた分、下りるまでが登山です!

 

目標達成した後の下山が辛かった・・・涙

 

登るのとはまた違った脚の筋肉を使い
同じ筋肉を使ったジグザク下山道が永遠に続く。
約4時間半続きました。

膝への負担が半端ない。

登りは、いくつもあった山小屋が
下りはほとんどない。

トイレすら不自由するくらい 泣

 

富士山ならではの軽石のような小石と
赤い土埃にまみれながら
足を取られて滑るのを踏ん張りながら
下り続けるのは
身体的な疲労と精神的な疲労が
ダブルで襲ってきて

下山こんなに辛いって、聞いてなーーーーい!!!!

って叫びたくなった!

 

人は、感動的なことがあると
辛いことは忘れるようにできていますよね。

出産もそう。
想像をはるかに上回る痛みなのに
人は、その後も出産を繰り返す。

(私は1回でしたが、
もう嫌だと思ったからではないです
たまたまです)

きっと、みんな下山は辛かったはず!

だけど、やっぱり感動したところが
印象深くて人に話す。
忘れてるわけではないけれど
抜け落ちているのかもしれないですね。

そこで「素晴らしい経験だったね!」って
美しい話で終わることが多いのかもしれない。

 

私自身、下山しながらも

「こんな辛いことは、もう2度としたくない!」

と思っていたのに
数日経った今では
全然余裕がなく必死だったから
次はもう少し登山自体を楽しんでみてもいいかも❤︎

なんてあの辛さが薄まっている自分にビックリしています。

 

何かを成し遂げた人に対して
すごいなー。あの人だからできたんだ。
と思うことがよくあります。

成功した人ご自身、成功すると
今までの苦労を忘れているのかもしれない。

忘れるというか、フォーカスするポイントじゃなくなるのかな。

何が言いたいかというと
何かを成し遂げることの後ろには
スポットライトが当たらない
たいへんが苦労がある、
あって当然

一般的には知られていないだけ

と気づけたということです。

 

経験してみないと気づかないことでした。

登山<下山

に気づいた夏でした。

 

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